「和包丁はなぜ片刃なのですか?」という質問をいただきました。
回答の前に、この春、包丁業界に就職した人や、包丁に興味を持っている人、また、これから料理の修行を始める若い方々など、次の時代を担うみなさんにお伝しえしたいことがあります。
私は師匠から、「先人の知恵を学ぶことは大事だけど、先人の言葉を鵜呑みにしてはいけない」と教えられ、確かにその通りと感じることがあります。
なのでみなさんにも、「基本的に先輩の言葉を信じてよいのですが、先輩の言葉を全て鵜呑みにせず、疑問があったら自分でもよく考えてみてください」とお伝えしたいです。
もちろんこのブログの内容も鵜呑みにせず、わからないことが出てきたら「調べてみる」「与えられた環境でできる最大限に客観的な実験をする」などで、疑問を解決してみてください。
良い実験方法を考えて解決した疑問は自信につながり、自分の言葉で話せるようになります。
出てきた疑問に取り組むときは「包丁は、まだ民間に読み書きも普及していない時代からあった」ということを忘れてはいけないと思います。
「時計・温度計・計量カップ・キッチンスケール・分度器」などなく、場合によっては多くの人が文字が書けず、掛け算や割り算などできない時代です(インターネットという言葉もない時代です)。
包丁作りや料理は、ほとんど口伝、つまり伝言ゲームのように後世に伝えられてきました。
仕事の先輩が後輩に対して「技術は見て盗め」と言っていた時代もありましたが、見て盗むというのは、裏を返せば「人間の語彙が少なく説明できなかった・説明する技術がなかった」ということでもあります。
義務教育で共通の教育を受けたみなさんでも「伝言ゲーム」では最後に違う内容が伝わりますし、一対一のLINEのやり取りでさえ、誤解が生まれることもあります。
昔からの道具の作り方や使い方についても、本質が正確に伝わるはずはありません。
私も意識しているのですが、疑問が出てきたら、まずはその質問を先輩にしてみてください。
先輩にもわからないとき、一緒に考えてくれるなら、尊敬できる先輩だと思います。
そして尊敬できる人たちと一緒に自分を磨き、社会の役に立つ仕事を続けてください。
以上、次の時代を担うみなさんへのメッセージでした。
・・・
では本題、「和包丁はなぜ片刃なのですか?」という質問についてです。
私の仮説なので、参考程度に読んでいただければと思います。
最後に「和包丁の存在理由」「洋包丁はなぜ両刃か」「ユニバーサルエッジはなぜ片刃か」ということにも触れます。
たとえばネットで「和包丁はなぜ片刃」と調べると「片刃は両刃より砥ぎ角が鋭角だから切れ味が良くなる」「切れ味を良くするために和包丁は片刃です」という答えがほとんどのように感じます。
しかし、これはただ「片刃の特徴・片刃の説明」であって、「和包丁はなぜ片刃なのか」という質問に対して正しく回答していないと思います。
実際は「昔は片刃の方が作りやすく、そのままの形で現在まで受け継がれているから」という答えが正解に近いと思います。
和包丁が片刃の理由は、たとえば「300年前、当時の金属と技術で家庭用包丁を量産するなら」と考えてみるとわかりやすいかもしれません。
300年前はきっと以下のような状況だったと考えられます。
・質の良い金属が少なかった
・薄く均一な厚さの刀身を作る技術がなかった
・全て手作りだった
・砥石を使って砥いでいた
刃物は刀身が薄い方が総合的な切れ味が良く、しかも砥ぎやすいのですが、昔の刃物用鋼材や人の手による「手作り作業」では、現在のような薄くて丈夫な刀身を大量に作ることができませんでした。
当時の金属と当時の製造技術の中で、丈夫さや砥ぎやすさ、製造コストなどを考えた結果「厚い刀身」になり、厚い刀身になった結果「片刃」という刃付けになったと考えられます。
ではもう少し詳しく、以下の見出しに沿って「和包丁が片刃の理由」について考えたいと思います。
◎切れ味を良くするため・・・ではない
◎食材によって変わる切れ味
◎決定的な場面
◎菜切り包丁の存在
◎柳刃包丁が利き手ごとの片刃なのはなぜ?
◎考察
◎和包丁はなぜ片刃なのか
◎現在の和包丁の存在理由
余談1:洋包丁はなぜ両刃なのですか?
余談2:ユニバーサルエッジはなぜ片刃なのですか?
◎切れ味を良くするため・・・ではない
冒頭と同じことを書きますが、「片刃は砥ぎ角が鋭角だから切れ味が良くなる」「切れ味を良くするために和包丁は片刃です」という答えは、ただ「片刃の特徴・片刃の説明」というだけであって、「和包丁はなぜ片刃なのか」という質問に対しての回答ではありません。
また、説明そのものも「和包丁は切れ味が良い・和包丁の方が切れ味が良い」という誤解を招きやすい内容です。
誤解を招きやすい理由は、第一に、両刃でも和包丁と同じ角度で砥ぐことはできるからです。
和包丁の平均砥ぎ角が洋包丁より鋭いのは確かですが、洋包丁を和包丁と同じように鋭く砥ぐことはできます。
実際、私が所有している包丁の中では、すでに廃盤になった「GLOBAL GP-14」というプロ向けの牛刀(両刃)は、和包丁のような鋭い砥ぎ角が印象的な包丁でした。
また、以前ブログでも紹介した「燕三条」という牛刀も、砥ぎ角が和包丁と同じように鋭いです。
もちろん多くの研ぎ師が和包丁と同じ角度で両刃に仕上げることができます。
※例として「砥ぎ角12度の片刃」と同じ角度とは「砥ぎ角が左右6度ずつの両刃」という意味です。
※包丁「燕三条」についてはこちらを参考に
「燕三条」購入記
第二に、砥ぎ角が鋭いほど切れ味が良いというわけではないからです。
「切れ味」にはいくつかの種類があり、和包丁が砥ぎ角の鋭さによって切れ味を発揮するのは「柔らかいものを切った場合」や「薄切り(皮むきも含む)」「高さ数㎜の食材を切った場合」です。
大根などの硬いものを切る作業の前半に起こる「切り込み抵抗の強弱」や、後半に起こる「抜けの良し悪し」については、刀身が薄い両刃構造の洋包丁が優れています。
ということで、和包丁の特徴のひとつとして、「条件付きで洋包丁より切れ味が良い場面がある」と説明することは可能ですが、「和包丁はなぜ片刃なのですか?」という質問に対して、単に「切れ味を良くするため」という答えでは説明不足だとわかります。
つまり、和包丁が片刃なのは「切れ味を良くするため・・・ではない」ということです。
◎食材によって変わる切れ味
包丁の切れ味は、切る食材によって変わります。
砥ぎ角が鋭角でも、和包丁(片刃で母材が厚い)は、硬いものを半分に切る作業は苦手です。
和包丁で大根を半分に切ろうとすると、「斜めに切れる・まっすぐに切れない・途中で割れる」という話を聞いたことがあると思いますが、これが「切り込み抵抗」や「抜け」の話で、刃先が鋭く砥いであっても包丁が食材の中でなかなか進まず、切れ味が悪いと感じます。
下図は、包丁の刀身の断面図です。
①が和包丁、④が洋包丁のイメージです(角度の数字は目安です)。
様々な場面を想像しやすいように、和包丁と同じ母材厚・同じ砥ぎ角で両刃にした②と、やはり和包丁と同じ母材厚で、砥ぎ角を鈍角の両刃にした③も書いてみました。
図でも想像できると思うのですが、和包丁では硬い野菜をまっすぐ切ることが難しく、大根を切った場合、最後に割れてしまうことがほとんどです。
そのことから、硬いものを切り分ける作業などのときは「両刃」であることと、刃が「薄い」ことが大切だとわかります。
つまり、硬いものを切るのが得意なのは、刃が薄くて両刃の「④」の洋包丁です。
洋包丁は、たとえ刃先の砥ぎ角が鈍角でも母材全体が薄いため、大根を切るときは和包丁よりも切り込みや抜けが良く、その結果「切れ味が良いと」感じます。
逆に、柔らかいものを切るときは、食材が変形して刃の厚みを吸収するため、刃の厚みや片刃にほとんど関係なく、「砥ぎの鋭さ」が影響します。
その結果、柔らかい食材を切るなら砥ぎ角が鋭い①と②が適しています(柔らかさの度合いによってはもちろん④の方が切れ味が良いと感じる場合もありますし、両者変わらないと感じる場合もあります)。
柔らかい食材の例としては、肉や魚です。
肉や魚を切るときは、刃の厚みや刃付け(両刃・片刃)よりも、砥ぎ角が鋭いことが切れ味に影響する場面が多いと言えます。
(だたし魚をさばく出刃包丁については、刃先の切れ味が良すぎると骨に食い込みやすくなり、作業効率が落ちる場合があるようです)
◎決定的な場面
そして和包丁の「片刃」という特徴が活かされる決定的な場面が、野菜の「薄切り」です。
ただし条件としては、右利きの人が右利き用の薄刃包丁を使い、野菜を右端から1㎜前後の厚みで切った場合です(左利きの場合は逆)。
この条件で切った野菜の薄切りは、間違いなく片刃の薄刃包丁が得意です。
両刃の洋包丁では、野菜に対して刃を薄く当てるほど、刃が右側に滑り落ちてしまうため、安定して薄く切ることが困難です。
また、家庭レベルでは、薄切りの作業にとって包丁の刃の厚さは無関係なので、和包丁のように厚みがあっても食材が「割れる」ということはありません。
野菜の薄切りにとって大切なことは、あくまでも「完全な片刃かどうか」です。
たとえば、9:1や8:2の「片刃寄り・片刃風」と言われる洋包丁では、野菜の薄切りのしやすさは完全片刃に劣ります。
和包丁は裏をベタ砥ぎするので、常に「完全片刃」の状態を保っています。
そのため、薄刃包丁は野菜の薄切りが得意です。
<確認>
ここで確認しておく必要があるのは、薄刃包丁は野菜の薄切りが得意であっても、それが直接「切れ味が良い」ということではなく、「完全片刃なので、野菜を薄く均等な厚さに切る能力が高い」というだけです。
また、「洋包丁より薄刃包丁で切った野菜の断面の方がキレイだから薄刃包丁の方が切れ味が良い」というのも実際は微妙に違い、「薄刃包丁は断面がキレイになる切り方しかできない刃線構造になっているから断面にツヤがある仕上がりになりやすい」、というのが本質です。
つまり洋包丁でも、薄刃包丁と同じ動き(スライド切り)で切れば断面のツヤを出すことができますし、薄刃包丁でも、洋包丁の動き(スイング切り)で切れば断面をザラザラにすることもできる、ということです。
以下がその写真です。
洋包丁、薄刃包丁どちらの包丁で切っても、スライド切り(薄刃包丁の動き)を使えば断面のツヤを出すことができるとわかります。
YouTubeなどの比較動画では、和包丁の切れ味を良く見せるために、あえて一般ユーザーにはわからない程度に切り方を変えている実演もありますので注意が必要です。
切り方を変えれば、もちろん和包丁の方が切れ味が悪いように見える結果を出すこともできます。
食材の断面のツヤに興味がある方は以下を参考にしてください。
切り方と切れ味の関係
◎菜切り包丁の存在
ここまでの話から、刃が薄い両刃の包丁があれば、硬い食材を切り分けるときなどに良好な切れ味を発揮できることがわかります。
そして、そんな和包丁が、「両刃」で刃付けされている「菜切り包丁」です。
「菜切り包丁」が、和包丁の「片刃のデメリット」を補うために存在するとしたら、片刃の和包丁には「硬いものを切るために両刃の包丁を作らなければならないほど大きな切り込み抵抗がある」と言えます。
切り込み抵抗の詳しい話はこちら。
◎柳刃包丁が利き手ごとの片刃なのはなぜ?
「薄刃包丁」を使うとわかるように、硬い野菜の薄切りをするなら、完全片刃であることが重要です。
しかし刺身などの「柔らかい食材」を切るための柳刃包丁は、単純に「切る」という意味では片刃である必要はありません。
それは、柳刃包丁では、食材の左側からも切ることや、包丁メーカーが両刃の筋引き包丁を「刺身包丁」として販売していること、また、片刃のパン切り包丁を左右兼用として販売しているメーカーがあることからもわかります。
柔らかい食材は切り込み抵抗を逃がすので、片刃でも両刃でもどちらでもよいということです。
フランスパンやドイツパンなどのように、パンには刺身より硬い種類のものもあります。
「柔らかいものを切るから刃付けの向きは無視できる・片刃でも左右兼用として使える」ということなら、パンより柔らかい「刺身」を切る柳刃包丁も、片刃ですが左右兼用として販売してよいはずです。
しかし柳刃包丁には、右利き用と左利き用が存在します。
いったいなぜでしょうか・・・
「和包丁特有の裏スキが食材との摩擦を・・・」というのは正解ではありません。
右利き用の柳刃包丁は、理論的には刺身を右側から薄く切るときに「裏スキ」が有効かもしれませんが、だとしたら、右の片刃で刺身のサクを左側から切るときはどうか、という疑問が残ります。
サクを左側から切るときも右利き用の柳刃包丁を使う事実から判断すると、「刃付けの向き(裏スキのあるなし)によって作業性に影響が出ることはない」ということになります。
私個人がレストランのスタッフたちや料理歴が長い主婦と実施した実験でも、裏スキのあるなしによる作業性の差はわかりませんでした。
裏スキの実験結果はこちら。
実際、刃渡りが長めの両刃の包丁を「刺身包丁」として販売している包丁メーカーも少なくないので、このことからも、柳刃包丁が片刃の理由は「切る作業の効率を上げるためではない」とわかります。
では、柳刃包丁の「片刃」の理由が作業性の向上ではないとしたら、残された理由は「作りやすいから・砥ぎやすいから」と説明できます。
切る作業だけで言えば両刃でもよいはずの柳刃包丁に利き手が存在する理由がわかると、少なくとも昔の日本では、「両刃より片刃の方が作りやすかったということ」と、「左利きの人は左利き用の包丁が砥ぎやすいから左右の利き手に合わせた柳刃包丁が存在したということ」が同時に理解できます。
※現在は片刃の方が作りやすいということはなく、「抜き刃物」の製法で薄い刀身の両刃包丁の方が作りやすいので、柳刃包丁が片刃の理由は、「砥ぎやすさ重視」の一点と言えます。
しかし砥ぎやすさなら抜き刃物の両刃、つまりスライサーや筋引きと呼ばれる刀身が薄い洋包丁の方が優れているので、柳刃包丁そのものの存在意義がなくなっていると言えます。
※「柳刃包丁でも野菜の薄切りをするから片刃でなければならない」「持ち替えるのが面倒だから野菜を切るときも柳刃を使う」というなら、薄刃包丁の専用性がなくなり、和包丁を使いわける意味がなくなります。
和包丁は、目的に応じて使い分けてこそ和包丁だと言われているからです。
◎考察
結論の前に、3つの代表的な和包丁について書きます。
一般家庭で使うことを前提として書いてみます。
1:柳刃包丁
刺身などの「柔らかいサク」を「左右」から切るので、片刃である必要はない。
刺身包丁は両刃でもよいということは、包丁メーカーが刺身包丁としてスライサー(両刃)を販売していることでも証明されている。
裏スキの有無は切る作業性に影響しない。
パン切り包丁の多くは右刃付けの片刃だが、フランスパンやドイツパンなど、刺身より硬いパンを切る前提があるにもかかわらず左右兼用として販売されている。
右刃付けの柳刃包丁で左から刺身のサクを切ることもあるので、パン切り包丁と同じように、右刃付けの柳刃包丁を左右兼用として販売してもよいはず。
そのことから、片刃の理由は作業性の向上ではなく、当時の日本で「作りやすさ・砥ぎやすさ」を優先させた結果と言える。
現代は薄い刀身の両刃包丁(砥ぎやすい包丁)が安価で作れるため、柳刃包丁が「砥ぎやすさを重視した結果の片刃」でなければならない理由はない。
両刃(筋引き・スライサー)にすれば左右兼用包丁になり、刀身が薄くなった分、砥ぐ手間も少なくなる。
2:薄刃包丁
片刃だと野菜の薄切りがしやすい。
ただし硬いものを半分に切るときや乱切りなどでは、刃付けと母材の厚さが影響して野菜が割れやすい。
しかし家庭での野菜の乱切りには高い精度は求められないので、片刃でも問題ない。
野菜の薄切りの精度を求めるなら、間違いなく両刃より片刃がよい。
繊細な野菜の薄切りを安定して切るには完全片刃が最も適しているので、和包丁の中でも、「薄刃包丁」には片刃でなければならない理由はある。
3:出刃包丁
出刃包丁は主に魚の解体用に使われるが、一般家庭のまな板の上でさばく大きさの魚なら、家庭用万能包丁でもできる。
実際に家庭用万能包丁で魚をさばく人もいる。
完全片刃で切れ味が良すぎると骨にひっかかかり作業性が落ちることがあるので、切れ味が良いほど優れた出刃包丁というわけではない。
「骨に沿って切る」という作業は慣れれば両刃でもできる。
出刃包丁の重さを利用して「叩く」作業は、現在の日本の一般家庭ではほとんど行われない(手間・衛生面・ケガ・精神面・集合住宅・・・これらが魚の解体をしなくなった理由のキーワード)。
※普段から出刃包丁で魚をさばく人と三徳包丁でさばく人に協力していただき、それぞれ同じ魚をさばき、効率よくさばける包丁はどちらかという実験が興味深い。
ほとんど同じ結果が出るなら製造コストが低い三徳包丁がよい(110円で買える包丁もある)。
このようなことをふまえ、以下に結論を書きます。
◎和包丁はなぜ片刃なのか
あくまでも仮説なのですが、初めに書いたように「昔は片刃の方が作りやすく、そのまま現在まで受け継がれているから」です。
細かく書くと以下のような理由です。
・当時は片刃が作りやすかったから
・片刃は砥ぐ手間が半分だから
・右利きの人が多かったから
・結果的に薄切りがやりやすかったから
余談:パン切り包丁は右刃付けでも左右兼用が多い
・当時は片刃が作りやすかったから
昔の刃物用鋼材は今よりも質が低いため、強度を出すためにはある程度の厚みが必要でした。
両刃包丁の場合、刃先の中心線を美しく保つことが必要ですが、厚みのある両刃包丁の場合、両側からたくさん砥ぐことになるので手作業だと面倒です。
たとえば出刃包丁は厚みがありますが、「出刃包丁を両刃仕様に」と考えると、片刃と比較して作るのにも砥ぐのにも手間がかかりそうだと想像できます。
片刃の方が刃付けの手間が半分なので、簡単に作れたはずです。
また、「刺身を切る」という意味では片刃にする必要のない柳刃包丁が片刃だということでも、昔は片刃の方が作りやすかったということがわかります。
刺身は柔らかい食材です。
さらに、刺し身のサクを左右から切るので、切るために必要なことは、研ぎの「鋭さ」であって片刃である必要はありません。
両刃でも問題ないにもかかわらず片刃なのは、「作りやすいから・砥ぎやすいから」と考えるのが自然です。
「片刃は裏スキを作るのが大変・両刃を作るより面倒」という考えもありますが、砥ぐときに裏スキが必要になるのは、「仕上げ砥石」のレベルからです。
私の実験では、1000番の砥石では裏スキがなくてもベタ砥ぎできましたが、6000番だと、滑り現象と貼り付き現象がランダムに現れ、砥ぎにくく危険な印象を受けました。
裏スキの実験結果はこちら。
仕上げとして高い粒度で砥ぐカンナの刃など、「大工道具」には裏スキが必要だったかもしれませんが、砂利が着いた野菜や魚の骨などを切り、刃欠けが頻繁に起こった昔の一般家庭用包丁には、そこまでの切れ味は求められていなかったはずです。
仮に1000番程度までしか使わないなら、家庭用の和包丁には裏スキがなくてもよいことになります。
現代の和包丁でも、廉価版の和包丁には裏スキがないものもあり、このことからも裏スキがない方が作るのが簡単だとわかります。
裏スキなしでよいのなら同じ刃の厚さの両刃より作りやすいことは明らかですし、「裏切れ」の心配もせずベタ砥ぎできるので、家庭用の和包丁が片刃になることは合理的だったと言えるはずです。
・片刃は砥ぐ手間が半分だから
刃欠けが多かった時代は、砥ぐ手間が省けることは大切だったはずです。
しかし和包丁は切り刃の幅が広く、砥ぐのに手間がかかります。
切り刃が左右にあると砥ぐ手間が2倍になってしまうので、片刃にすることで、砥ぐ労力を半分にしたと思われます。
重要:
「片刃の方が砥ぎやすい」というのは「同じ刀身の厚さの場合」という前提です。
和包丁に近い厚みのある両刃の刃物としては、昔なら「刀」、現代ならキャンプ用の大型のナイフがあります。
いずれも家庭では使わない刃物なので想像しにくいかもしれませんが、厚みのある刀やナイフを砥ぐときは左右の砥ぎ面積や角度のバランスを整えながら砥ぐ必要があり、時間がかかることが想像できます。
厚みのある両刃の刃物は、同じ厚さの片刃と比較すると砥ぐのが面倒ですが、現代の「家庭用洋包丁(両刃)」と「和包丁(片刃)」を比較した場合は、両刃の家庭用洋包丁の方が砥ぐのが楽です。
理由は、家庭用洋包丁の方が刃先が薄く、和包丁と比較して砥ぐ面積がとても狭いからです
一例としては下図の①と④の違いです。
④は両刃ですが①より楽に砥げそうだとわかります。
たとえ両刃であっても、刀身が薄ければ片刃の和包丁より砥ぎやすいということです。
※ユニバーサルエッジは片刃の洋包丁なので、両刃の洋包丁④よりさらに研ぎやすいです
このあたりの話は以下を参考に。
「片刃は砥ぎやすい?」
・右利きの人が多かったから
左右の利き手の人口比が5:5だと、包丁は両刃になっていたかもしれませんが、右利きが多かったので、右利きのための刃付け(右用の片刃)が普及したと考えられます。
また、砥ぎについても右利きの人は右側を砥ぐのが得意なので、右の片刃でよいということになったのかもしれません。
右利き用の1種類だけなら、作るのは簡単です。
少数派の「左利き用」の包丁が高価な傾向があるのは、右利き用が量産されていたことの証拠と言えます。
※和包丁は利き手に合わせて刀身そのものを別に作る必要があることと、右利きの人にとって左側の刃付けは難しいことが価格アップの理由
・結果的に薄切りがやりやすかったから
薄刃包丁は野菜の薄切りが得意ですが、薄切りのために和包丁全体を片刃にしたわけではなく、「片刃で作るのが楽だったから片刃で作った。薄刃包丁は薄切りに適していた」というのが本質だと思います。
薄刃包丁は薄切りのしやすさは洋包丁(両刃)に勝るため、「差別化」という意味で和包丁は現代でも片刃のまま存在していると考えられます。
※柳刃と出刃は刀身を薄くして両刃にした方が総合的な利便性は上がります
備考1:利き手や裏スキを気にするべき包丁
「利き手」を気にするべき順は、薄刃包丁→出刃包丁→柳刃包丁ですが、その理由は、出刃包丁も柳刃包丁も、切る対象が肉など柔らかいものが多いため、両刃の筋引きや三徳包丁で代用できるからです。
※参考:ユニバーサルエッジは、筋引きや三徳包丁の代用ができるだけでなく、薄刃包丁の代用もでき、しかも薄切りの刃離れ性能は薄刃包丁より優れています。
ユニバーサルエッジの汎用性が高いというのは、このような理由からです。
「裏スキ」があった方が良い順は、柳刃包丁→薄刃包丁→出刃包丁です。
「柳刃包丁」は、刺身につやを出すために、究極の切れ味が求められます。
究極の切れ味の維持には、裏側を高い番手の砥石でベタ砥ぎする必要があり、仕上げ用砥石に包丁がぴったり貼り付いてしまうのを防ぐために裏スキが欠かせません。
「薄刃包丁」は柳刃包丁より刃先の仕上げの基準は少し甘くなり、「出刃包丁」に至っては骨を断つので刃欠けしやすいことや、刃先が鋭すぎると骨に食い込み引っかかりやすくなるという理由から、1000番程度で砥ぐだけでもよいかもしれません。
1000番なら裏スキがなくても砥げるので、究極の切れ味を求めない出刃包丁には裏スキがなくても問題ないと言えます。
※家庭レベルでは裏スキなしでも問題ないことがほとんどです(家庭ではそもそも和包丁がなくても問題ないことがほとんどです)。
備考2:パン切り包丁は片刃で左右兼用・刺身包丁は両刃という現実
パン切り包丁は、右刃付けの片刃でも左右兼用として販売している包丁メーカーが多いです。
パン切り包丁は刺身より硬いパンを切ることもあるので、右刃付けの片刃のパン切り包丁を「左右兼用」として販売しているメーカーは、右刃付けの柳刃包丁も左右兼用として販売しないと矛盾するように感じます。
しかし、「切れ方」ではなく「砥ぎやすさ」を重視して利き手を設定しているなら、左利きの人には左刃付けの柳刃包丁を提供することが大切です。
(パン切り包丁は頻繁に砥ぐわけではなく、砥ぎやすさが重視されないため、左右兼用になっていると思われます)
つまり、片刃のパン切り包丁を左右兼用として販売している包丁メーカーが、片刃の柳刃包丁の利き手を指定して販売しているなら、「砥ぎやすさ」を重視しているということになります。
このことから、和包丁が片刃の理由は「砥ぎやすさのため」と言え、決して「片刃の方が切れ味が良いから」という理由が一番ではないことがわかります。
そして、和包丁が「砥ぎやすさ」を重視して利き手を選ぶ包丁にしているなら、両刃の筋引き包丁を刺身包丁として売ることに矛盾もなくなります。
その理由は、筋引き包丁は切り刃の幅が少ししかないので柳刃包丁より砥ぎやすいですし、自分の利き手側だけ砥いでやがて片刃になっても、刺身のような柔らかい物を切るなら刃付けの向きは問題にならないからです。
また、両刃で販売し左右兼用包丁とした方が、在庫管理や製造コスト面で優れているという理由もあると思います。
薄い刀身を作れるようになった現在は、包丁メーカーも両刃の刺身包丁を販売していますし、包丁ユーザーの中にはすでに刀身の薄い三徳包丁で魚を捌いている人も少なくありません。
いずれも軽くて砥ぎやすく、使い初めに左右の利き手を選ばないことがその理由です。
薄い刀身を量産できる現在、柳刃と出刃が片刃である必要はないと言えるので「現在でも和包丁が片刃なのはなぜか」という疑問が残りますが、これは「様々な理由がある」という答えになると思います。
「売りたいメーカーがある・和包丁が好きなユーザーがいる・刃物業界が昔ながらの考え方をアップデートできていない」などが和包丁が片刃である理由として挙げられます。
◎現在の和包丁の存在理由
私は家庭用万能包丁を研究しているのですが、仕事の経験上、日本では和包丁の普及率は下がり、洋包丁の普及率が上がっていると感じています。
和包丁は、現在の洋包丁と比較すると「包丁の寿命・作る手間・使う金属の量・砥ぎやすさ・維持コスト」などで劣るため、「SDGs」の「つくる責任」を意識するという意味でも、「和包丁の洋包丁化」や「洋包丁の普及」が進んでいるのは自然な流れです。
洋包丁が登場してから、完全片刃でなければならない和包丁は「薄刃包丁」だけになったと言えますが、2018年に薄刃包丁の総合性能を上回る完全片刃の洋包丁「ユニバーサルエッジ」が登場したことによって、「家庭用の薄刃包丁」の役割も終わりつつあります。
私は10年前の修行当初から「ユニバーサルエッジ(片刃の洋包丁)」を使っていますが、他の包丁を使っても、これ以上の性能を発揮するものはありません。
また、「長年和包丁を使ってきた人が、オールステンレスの洋包丁に感動し、以後それを使うようになった」という話を聞いたことがあります。
このような状況からも、現在、和包丁が片刃で存在する理由は「合理性を追求した結果ではない」ということになります。
では、「合理性では説明できない和包丁の存在理由とはなにか・・・」となりますが、それはやはり「心・趣味・文化」などで説明されるものなのかもしれません。
和包丁が広く日本の家庭で使われていた実用品としての時代は終わり、今後は「心」を中心とした趣味の世界で使われることが多くなっていくのかもしれません。
余談1:洋包丁はなぜ両刃なのですか?
「和包丁はなぜ片刃なのですか?」という質問があるなら「洋包丁はなぜ両刃なのですか?」という質問もあると思います。
これも、はっきりとした答えは見つかりませんでした。
おそらく「砥石を使わない文化」「鋭い切れ味を求めない」という面が大きいと思いますが、その他「食に対する考え方」「砥ぎ棒で砥ぐ文化(左右簡単に研げる)」「日本より繊細さを求めない(繊細な薄切りをしない)」「日本より硬いまな板を使う(刃を丈夫にする必要がある)」などがキーワードになると思います。
※「片刃と両刃の違い」について書いてあるサイトは多くありますが、洋包丁が両刃である理由について書かれたサイトは見つけられませんでした
※鋼材の進化と食材の軟化により、洋包丁は片刃の方が便利な時代になりつつあります。
細かい刃先厚や角度は別として、実際にプロには洋包丁を片刃に砥ぎ直す人も多くいます。
現在、洋包丁が両刃でなければならない理由はないと思います。
余談2:ユニバーサルエッジはなぜ片刃なのですか?
「ユニバーサルエッジが片刃の理由」については、はっきりと答えられます。
それは、「薄切りの刃離れ・砥ぎやすさ・汎用性・楽しさ・安全性」などの向上のためです。
以上、「和包丁はなぜ片刃なのですか?」の答え(仮説)でした。
長文を最後までありがとうございました。